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2022-01-29

久しぶりの東京で~後編~

前編では主に「柚木沙弥郎 life・LIFE」について書きましたが、後編では「民藝の100年」のことを。
さすがに行かない訳にはいかないよな、と思い、今回の帰省スケジュールにしっかり組み込んでいました。
何気に初訪問の東京国立近代美術館。上野かと思いきや場所は九段下(国立系は上野という思い込み)。チラリと見えるのは武道館です。

週末ということもあり、なかなか盛況でした。
客層が老若男女で良いね、などと思いながら館内へ(友人曰く平日は年配客が多かったようですが・・・)。

柚木さんの企画展と違い、こちらは残念ながら撮影不可。
撮影スポットはエントランスに加えて1ヵ所のみ。

展示内容は主に日本民藝館からのもので、ちょくちょく民藝館に足を運んでいた店主からすると拍子抜け。もう少し特別な何かが見られるかと期待していました。
ただ関連番組を見たりすると感じることですが、言葉がひとり歩きしているだけで、知られているようで知られていないのが民藝、ということなのでしょう。

一方で、民藝って何?と問われると、その解釈は人それぞれだと思います。いや、元々は柳宗悦の提唱したものなので、柳が唱えるものが民藝であることは確かです。でも柳の没後60年が経過した今、それをそのまま正しく解釈している人は、ひとりもいないと思うのです。
そう考えた時、民藝に❝こだわる❞ことの無意味さを思わずにはいられません。民藝ってそもそも作ろうとして作ったものではなくて、後付けの概念ですしね。

今回展示を見て改めて感じたことは、民藝の美の基準は当時斬新であり、新しいカルチャーのひとつだったということ。民藝同人たちの装いは当時かなりモダンであったであろう、洋装です。そして当時の柳たちは若く、現代の、流行や新しいカルチャーに敏感な青年たちと同じように、何か新しい感情に訴えてくるモノ・コトを探していたのだと思うのです。

そう考えると、今こうして民藝を絶対的な美の基準のように、クラシックのように扱うことは、当時柳が唱えた民藝とはまったくの別物なのではないかなと感じます。当時は古い物が対象だったとしてもまったくの新しい美の解釈だったわけで、謂わばオルタナティヴ。そして柳自身の美の基準も晩年には仏教美術の域に入り、型にはまったもの、基準の明確なものではなかったことが窺えます。

店主は民藝的なものは好きです。でもそれを絶対の基準にするのは違和感がありますし、明確にカテゴライズしようとするのは不可能だし下らないと思います。だから、こだわりたくない。
今回「民藝の100年」を見て、それで良いと改めて思えました。何故ならこの展示自体、誰かの解釈に基づいた、とある民藝の形でしかなかったから。

結局日本民藝館に行った方が良かったかも?とも思いましたが(今の民藝館自体も賛否あるみたいですが)、民藝館ではここに書いたようなことまでは考えずにただそこにあるモノと向き合うだけだったかもしれず、それならまぁ、これはこれで良かったか。
などと思いつつ、次の目的地へと移動したのでした。久しぶりの東京は、なかなかに刺激的でした。

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