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2024-05-09

仕入日記:工房 風花

マルクトスコレーでもいつか「やちむん(=沖縄の言葉で❝やきもの❞)」を扱いたい。
でもやちむんなら何でも良い訳ではないし、焦らずマルクトスコレーらしいご縁を探そう、そう思っていた時に見つけたのが西表島の「工房 風花」でした。

工房 風花の中里ゆきさんは北海道出身。北窯の松田米司工房での修業を経て独立しました。
この工房は地元の方々の全面協力の元、2018年にゼロから建てた思い入れのある建物。
サトウキビ畑の傍らに、まるでずっとそこにあったかのように馴染んでいました。

20代の頃は農業をやりたいとの思いから、農作業の仕事で各地を巡ったそうです。
この工房がある西表との縁は、その頃のサトウキビ収穫がはじまり。

祖母の影響もあってか(普段使いのうつわは益子や瀬戸のものなどを買い集めていた)以前から焼きものは好きだったものの、はじめから陶工を志していた訳ではなかった中里さん。
しかし20代で腰を痛めてしまい、農業を生業とするのは難しいかもしれない・・・と考えた時に頭に浮かんだのが焼きものでした。

まずは益子で2年間、窯業をひと通り学びました。
そのまま益子焼を、となりそうなところですが、当時の先生が「やりたいことをやって良い」と言ってくれる懐の深い方で、選択肢は自分次第。
かつてのサトウキビ収穫で元々沖縄に縁を感じてはいたものの、どうしようかと考えていた矢先に同期がひと足先に北窯に弟子入りします。
そして2010年、ちょうど空きがあったというタイミングにも助けられ、中里さんも北窯の松田米司工房へ弟子入りすることとなったのでした。

益子では急須も挽けていたけれど、沖縄と益子では轆轤の回転が逆。
かつて焼きものの技術を伝えた朝鮮陶工が左回りだったので、朝鮮陶工の影響が色濃い地域では左回りが一般的なのです。
最初は左回転の轆轤では全然うまく挽けなくて、苦労したそう。

北窯での修業を終えて独立する際、地元北海道に帰ることも少し考えたそうですが、焼きものを寒い地域で生業とするのはなかなかにハードルが高い(陶土の凍結など懸念事項が多い)。
サトウキビ収穫をしていた頃から沖縄がしっくり来ていたこともあり、中でも縁のあった西表島に工房を構えることとなりました。

中里さんの作るうつわは、昔ながらのやちむんらしい素朴さ愛らしさがあり、だけどシンプルで主張はごく控えめで、毎日どんな料理を盛り付けても飽きずに使えそう、そんなうつわ。
作る形も沖縄らしいマカイにワンブー、油壺のほか、シンプルで使いやすい蕎麦猪口など。
まさに店主が求めていたやちむんです。

窯は灯油窯を使用しています。
修業時代には経験が無く、やり方が分からないのに薪窯に近い仕上がりになるからと選んだそうです。
案の定しばらくは全然ちゃんと焼けなくて、人に助けてもらってやっとやり方が分かり、安定して焼けるようになってきたとのこと。

土は北窯のように100%とはいかないながらも沖縄の土も使っており、なるべく沖縄らしいやきものを自分なりに作りたいと中里さん。
決して轆轤が得意とは言えないながら、工房を構えて5年、少しずつ形になってきたかなと感じているそう。
けれど、自分なりの形を探る中でも「いかに自分を消すか」が大事だと親方たちがよく言っていたと。
そんな中里さんの作陶への思いを伺うにつけ、だから中里さんの作るものに惹かれたんだなと、妙に納得してしまう店主なのでした。

今も作陶の傍ら、農作業のお手伝いをしているとのこと(腰は治ったそうです。良かった!)。
これまでいくつかの選択を経てご縁やタイミングにも導かれながら、やきものと農業、好きなことを両方ともできる環境にいる中里さん。
店主は同世代なのでなんとなく自分と重ね合わせて考えてしまうのですが、こんな生き方も素敵だなと、素直に思いました。
そして自分と同じ時代を生きながらも店主とは全く違う歩みがあって、けれどここで少し道が重なって、これだから人生は面白いなとも感じました。

作り手の元に行く度に思うことですが、店主が惹かれるには何かしらの理由があって、今回もまたその答え合わせをしているような、そんな時間でした。
来て良かったとしみじみ思えた、そんな旅となりました。
工房の裏にはサトウキビ畑が広がり、風が吹くとざわざわと耳に優しい音がして心地よい。

お人柄そのもののような、中里さんの作るやちむん。
ぜひご覧になりにいらしてください。

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