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2022-10-11

仕入日記:初期伊万里を目指す「工房禅」

大日窯の仕入れのために有田に何度か通う内、違う有田焼も仕入れてみたい、そう思っていました。
ですが、今の有田焼の主流は華やかで精緻な絵付けのもの。いわゆる高級磁器ではなくとも店主からすると❝綺麗過ぎる❞ものが多く、なかなか好みのものに辿り着けずにいました。

そんな中で見つけたのが「工房禅」の有田焼です。
初期伊万里を思わせる粗い肌に淡く枯れた青。形も比較的シンプルで、使いやすそうなところも惹かれたポイントでした。

今回仕入れたのは工房禅の2代目、横田翔太郎さんのうつわ。
焼きもののまち有田に生まれ、幼い頃から初代の仕事に触れ、常に近くに有田焼がある生活をしてきた横田さん。身近すぎて、最初は焼きものの仕事をしようとは全く考えていなかったのだそう。

有田を出て神奈川で10年、焼きものとは関係ない仕事をして、また違う仕事をしようとひとまず有田に戻ります。
戻ってみて改めてこれからを考えた横田さん、「せっかく有田に生まれたのだから、やっぱり焼きものの仕事をしよう」そう思ったのだそう。10年有田を離れたからこそ、辿り着いた答えだったのかもしれません。
有田窯業大学で轆轤を1年学び、その後初代の元での修業を経て、独立に至ります。

横田さんの話を聞いて店主がつい考えてしまったのは、歴史ある地に生まれた人の運命について。
何度かメルマガなどでも触れていますが、江戸時代から続く小鹿田焼の窯元は一子相伝で、長男が跡を継ぐと決まっています。そのほとんどが高校を出たらすぐに轆轤の前に座ることになります。
多感な年頃の青年が素直にその境遇を受け入れられるはずもなく、好きで始める人はいないといいます。そうして嫌々始めた仕事が段々と面白くなり、歳を重ねるにつれ歴史を継続する意義を感じ、陶工の顔になっていく。
小鹿田焼の里を繋いでいくことはとても意義深いことだと思いますが、そこで実際に繋いでる人たちは我々と同じ普通の人たち。脈々と繋いでここまで来てくれたことには感謝しかありません。

対して横田さんは、有田に生まれたとはいえ、継がなくても良かった訳です。
実際地元出身で有田焼の仕事をする人はほとんどおらず、窯業大学に通う学生は全国から集まってきた職人志望の若者、もしくは半分リタイアしたような中高年なのだそう。現代の有田焼から地域性が失われつつあるのは、そういった理由もあるのではないでしょうか。
そう考えると、小鹿田が300年以上小鹿田であり続けている理由もまた、そこにあるのかなとも思います。最初にそれを縛りとした人がどう考えていたのか知る由もありませんが、今思えば一子相伝が重要な鍵だったのかもしれませんね。

そんな中、有田出身の横田さんが初期伊万里をやる。
横田さんだからこそこういう有田焼になるのかなと、あれこれと考えを巡らせながら、勝手にそんなことを思いました。
有田焼の原型を、ぜひ未来の有田にも繋いで欲しいものです。

なんでも自分でやりたい性格の横田さん、釉薬の灰はこの薪ストーブのものを使うそう。初期伊万里の質感に近付けるために石を混ぜたり、有田の土を釉薬に混ぜてみたり(泉山磁石場の磁土はほぼ採り尽くしてしまったため、ほとんど使われていません。泉山についてはこちらの記事をどうぞ)。
風見窯の杉田さんもそうですが、こういうDIY系の人、好きです。
それによって、奇を衒わなくてもそこでしか出来ないうつわになるので、こういう手の掛け方が独自性に繋がっている気がします。
ちなみに工房にはカフェ(営業日限られます。お出かけの際はお調べ下さい)が併設されていて、自家焙煎の珈琲が頂けます。横田さん曰く「うつわに珈琲豆にと、いろいろ焼いてます」。

渋い枯れた魅力の有田焼を作っていますが、まだ6年目。
段々と思い描く通りのうつわに仕上げられるようになってきたそう。これからが楽しみです。
今回少しだけ選ばせて頂いてますので、ぜひONLINE SHOPを覗いてみて下さい。

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