仕入日記番外:石垣島ショートトリップ
弾丸日程での西表島仕入れのため、短時間ですが滞在した二度目の石垣島(前回の様子はこちら)。
せっかくだから限られた時間で行けるところに行こう!ということで今回訪れたのは「石垣市立八重山博物館」です。

ホテルに荷物だけ預けて、汗だくになりながら急いで博物館へと歩きます。
何しろ17時で閉館してしまうので、せめて16時までには入りたいところ。
着いてみると、離島らしくこじんまりした博物館。西日がまぶしいですね。

こじんまりしていますが所狭しと古い資料や民具が展示され、1点1点見始めるととても1時間では足りない感じ。
ホテル以外どこにも寄らずに急いで行って良かったです。

石垣島には2万7000年前には人類が生息していたという痕跡があるそうです。
まだ分からないことも多いですが、4300年~3300年前から土器を作っていたと。
それが2000年ほど前には無土器時代に入るとのことで、一旦は作って使っていた文化が無くなるなんて面白いですね。
単に異文化の流入でそうなったのか、そもそも何らかの理由で人自体が入れ替わったのか。

そしてここでもやはり、中国から入ってくる陶磁器などの影響を受けていきます。
異国への移動が船だったから、というのは大きいのでしょうが、小さな離島にもこのように様々なものが入って来ているのはすごいですよね。
そしてまた、土器を作り用いるようになります。パナリ焼はこの系譜上にあるもの。
陶器を生産するようになるのは18世紀頃だそうで、これは沖縄本島からの影響だそうです。

今のものづくりのヒントになるような、美しい品も展示されていました。


やきもの以外にも様々。

八重山上布に代表される染織技術が発展したのは、薩摩の琉球侵略により財政的に困窮した琉球王府が、人頭税を課したことが影響していると考えられているそう。
こうした美しい布を琉球王府に貢納していたのです。

国内では八重山のみで作られていたという、捺染の絣。
この技術の発展の裏に、税に苦しんだ人々がいるかと思うと、複雑な気分です。
しかし目の前にあるこの布は、ただただ美しい。

「これほどの木工品はあるまい」と柳宗悦が絶賛した、ユートゥイ。
サバニ(沖縄周辺で使われていた木造漁船)で船底に溜まった潮水をかき出すための道具。
太陽に熱せられて海水がすぐお湯になってしまうので、ユートゥイ(湯取り)と呼んだそうです。


そのほか、ご紹介しはじめるとキリがない・・・ので、ご旅行の際はぜひ、行かれてみてください。
店主はここであっという間に閉館時間を迎えてしまい、時間があれば行きたかった国の重文「宮良殿内」に行きそびれました。
こちらは次のお楽しみということにします。

時間がないながら、八重山そばは食べられました。確かにそばが縮れてない。
せっかくなので島胡椒(ヒパーチ、ピーヤシ、など地域で呼び方いろいろ)を掛けて。

本来の目的である仕入れについてはこちらをご覧ください。