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2021-07-07

有田で磁器の歴史に触れる

まだ5月なのにまるで夏のようなある日、また行ってきました、有田。
今回は仕入れではなくて有田を知ることが目的です。
最初に向かったのは泉山磁石場。1616年に陶祖と言われる朝鮮人陶工、李参平が発見した場所であり、日本の磁器のはじまりの地と言えます。

そもそも日本ではそれまで陶器が主流でした。平安以降、中国や朝鮮から陶磁器は輸入されていましたが、磁器の原料もなければ製法も伝わっておらず、つくることができなかったのです。
しかし文禄・慶長の役で連行されてきた朝鮮人陶工らによって技術がもたらされ、有田で磁石が見つかったことで、ついに日本でも本格的に磁器の生産がスタートしました。

ここ泉山の良質な磁土はほぼ掘り出され、山が丸々ひとつ、やきものに変わってしまったと言われています。今では有田の磁器はほとんど天草陶石が使われていますが、僅かに泉山磁石を使う窯元もいるようです。
ちなみに天草陶石と泉山陶石では天草の方が肌が白くなるため、質が良いとされています。下の写真は、泉山磁石場から歩いて行ける距離にある、有田町歴史民俗資料館の展示。元々の色も、焼成後の色も違うのが分かります。

こちらは同じく有田町歴史民俗資料館にあった、窯跡から発掘された失敗作の山。18世紀後半から明治にかけてのものです。
自然のものを使って作られていますが、陶磁器は高温で焼成されているためそう簡単には土に還らないのでこうして残ります。そこから歴史を紐解いていくわけで、店主は陶片を眺めるのも好きなのですが・・・一方で環境問題も気になるところです。一部の原料にリサイクル陶器を使う試みもあるようですが、課題も多そう。

うつわなどを販売する店を営む者として、利益だけを考えればじゃんじゃん作ってじゃんじゃん売って、壊れたらまた買って下さい!というのが良いのでしょうけど、店主個人的にはそういう考えが苦手でして。
矛盾があるのは承知していますが、きちんと選んで買って、日々使って、少しのヒビや欠けなら直して使い続けて欲しい。そんな風に思います。

さてさて、有田町歴史民俗資料館では有田焼の歴史の一部として、戦時中のことも学ぶことができます。
なんと手榴弾を陶器で作っていたんですね・・・

こちらは試験的に作られたという陶製のポスト。こんなものまで・・・

そしてこちらは陶製の硬貨。様々な資料から、どれだけ物資不足に苦しんでいたかが窺い知れます。
こんな有様では勝てる訳もありませんね。勝って欲しくもないし、そもそも始めないで欲しかった。

次に向かったのは陶山神社。陶祖、李参平が奉られています。
踏切を渡って参拝するという珍百景としても有名な神社だったりします。参拝時はくれぐれもお気をつけて。

5月とは思えない暑さの快晴で、青空に磁器製の鳥居が映えます。美しい。

もちろん狛犬も磁器。

明治21年とあります。
なかなかこの時代の、しかもこんな大物を間近に見て触れることって普通はないので、ここぞとばかりに撫で回してきました(笑)

その後は有田の町をプラプラ。
有名なトンバイ塀(登り窯に使うレンガによる塀)を眺めたり、有名店の展示資料を拝見したり。時間切れで全ては回り切れなかったので、また来ようと思います。

有名店の資料館でのこと。
過去の大物に並び、近年一番の大仕事と思われるものが展示されていました。店主は正直に言って、がっかりしました。
仕事の性格からして、相当気合いの入った仕事であるべきです。それがこれか、と。
精密であればそれが良い仕事、という訳ではないと思うんですよね。そういう意味で、感情に訴えるものが無かったというか。よく出来てはいるけれど、薄っぺらで平坦に見えてしまったのです。

常々思うことですが、古作は得てして風情の良いものが多い。だからって新しいものを否定したくはないのです。
我々は今を生きていて、古作から連綿と続いて来たように、後世に繋いでいくには今の仕事を続けなくてはならない。その中で変化していくことは当然あります。その変化が、絶望的なものにならないためには、何ができるのだろうと。
絶望的な変化は既に世界中で数々起こっています。でもその中で少しでも、食い止めたり、立ち戻ったり、気付いたり、できたらいい。簡単なことではないけれど、だからこそ、常々思っています。

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