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2021-05-27

仕入日記:番外(伊万里編)

有田で大日窯の仕入をし(仕入日記)、有田焼の歴史に触れ(番外:有田編)、もう少し有田でお勉強を、と思ったら聖火リレーの交通規制に阻まれて動けない事態に(泣)
急遽予定を変更して向かったのが、ここ伊万里の秘窯の里でした。

夕方に辿り着いた山の中の小さな集落は、昔ながらの風情を残したどこか懐かしい景色。
どこも店じまいの時間が近づいているようでしたが、天気も良いしブラリと歩いてみることに。

鍋島藩が技術の流出を防ぐため、有田からあえて険しい地形の山奥に移された藩窯のあった場所。
青磁釉の原石が採れたこともあり、この大川内山が選ばれたそうです。
ここに優れた陶工が集められ、将軍や大名などへ献上する高級磁器がつくられていました。

ひと・ものの出入りを取り締まっていた関所跡などからもその徹底ぶりがうかがえます。
廃棄品や絵付の柄なども厳しく管理されていたようです。

陶片が散りばめられた橋は、いかにも磁器の里。
高級磁器の産地ということで、店主としてはそんなに商品には食指が動かず(いや、手が出ないと言った方が正しいかも?苦笑)でしたが、歩いてみるとやはり感じ入るものがあります。

登り窯も健在。頻繁にではありませんが、現在も使われているようです。
今なお鍋島家に鍋島焼を納めている窯元もあるそう。

有田から移ってきた際、朝鮮人陶工もたくさん連れて来られたのでしょう。その痕跡が橋の名前にも。

そもそも日本の陶磁器の歴史は、豊臣秀吉が仕掛けた文禄・慶長の役(1592~1598年)で強制連行された朝鮮人陶工なしには語れないものです。
故郷から無理やりに引き離され、言葉もろくに通じないところで働き、帰郷することも叶わず亡くなっていった陶工達。
戦争には今も昔も悲劇が伴います。

集落にはそんな朝鮮人陶工も含む、無縁仏となった陶工達の供養塔があります。その数なんと800余り。
藩窯を築くにあたって有田から連れられてきた陶工は31人と言われていますが、藩窯時代は技術が劣ると判断された陶工は容赦なく解雇されたそうですから、継続的に人手が集められていたのでしょうね。なお、優秀な陶工は武士並みに厚遇されたそうです。
このようなことからも、優れた陶磁器を生産するということが、藩の威信をかけた大プロジェクトであったと分かります。

集落に面して建てられた墓地と、陶工無縁塔。
先人達の胸中に思いを馳せながら、秘窯の里を後にしました。
次はもう少し早い時間に来て、鍋島焼でコーヒーを頂ける喫茶店に寄りたいですね。

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