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2020-09-07

ジャズと民藝

民藝という言葉、実はあまり使いたくありません。
SNSのタグには使ったりしてますけど(苦笑)
そして今だけかもしれないけど。

以前は多用してました。民藝系が好きです、とか言って。
でも定義が誰にでもはっきり分かるものではなく曖昧で、人によって捉え方が違っていて。
民藝系って何よ?って、言いながら自分で突っ込んでました。
ただ、ひとつのジャンルとして、雰囲気が伝わる言葉ではあります。

今も工芸店とか民藝店とか謳っているところは、通りかかれば必ず覗きます。
民藝について書かれた新刊もわりとチェックします。
その文脈で「いい」と言われるものは、わりと好きです。

でも民藝にこだわればこだわるほど生まれる対立構造とか、権威的なものとか、「こうあるべし」とか。
そういうモノ・コトへの疑問が拭い去れません。
そもそも、そのこだわっている民藝の解釈が合っているかどうか、最早その答え合わせは誰にも出来ないのではないかなと。

書き出すとつい長くなって、タイトルと繋がりませんね。
なんでこんなことを書こうと思ったかって、先日「真夏の夜のジャズ」という映画を観たからです。

1959年公開のドキュメンタリー映画で、ジャズ全盛期のある日、アメリカで開催されたフェスティバルの様子を撮ったものです。
60周年にあたり4K版が公開されていたので、天神にあるKBCシネマへ夫(ウララカオーディオ店主)と2人で出掛けました。
(館内は感染対策で大変そうでした・・・良い映画館なので続いてほしい!)

ジャズ全盛期ということもあって若者の姿も多く、ファッションもみんな素敵。
映画の中のジャズは大人の嗜みなんかでは全然なくて、若者のものでした。

だけど今、“ジャズを聴く人=中高年”なイメージ、ありませんか?
少なくとも“若者の音楽”だと思っている人はいないでしょう。
実際、映画館の中も年齢層は高め。
どうして、いつからこうなったのか?

70年代以降、若者が飛びつきやすい新しい音楽が台頭してきたとはいえ、もっと原型を保ったままいられなかったのかなと。
一般的なジャズへのイメージがあまりにも貶められているように思うのです。

一応ことわっておきますが、私はジャズファンという訳ではないです。
音楽が好きなので、ジャンル問わず良い音楽は良い。その中にジャズもあるだけ。
詳しくも何ともないけれど、映画の中のパフォーマンスがどれも素晴らしいものだったということは、自信をもって言えます。

そんな、フリークではない私だからこそ感じることかもしれません。
ジャズというものが、なんとなく本来の姿から歪められているような。
おかしな固定観念によって、真っ直ぐに観たり聴いたりされづらくなっているような。

この違和感が、なんだか民藝に似てるなと思ったのです。
いわゆる「民芸風」といったおかしなイメージとか、目利きによる選別とか、気軽に「かわいい!」と言わせない空気とか。

劇中の、ジャズを体いっぱいに楽しむ若者たちの中で、ジャズの細かいジャンル分けとか歴史とか、それぞれのプレーヤーの音の差とか、スピーカーの質とか、そんなことまで考えている人はごく僅かでしょう。
冒頭「あなたはジャズファンなの?」と聞かれて「別にファンではないわ」と若い女性が笑って答えるシーンが象徴的です。

ただ鳴っている音と、場の空気が良くて、楽しんでいる人々。
きっと楽しいことがあるに違いないと集まってきて、楽しんでいる人々。
ジャズはこういうものだったのに、どうして今、違うんだろう?
民藝はそもそもカウンターカルチャーだったはずなのに、どうして今、権威的な響きを持つのだろう?

モノ・コトを目の前にして、先入観や固定観念なく、常にフラットに向き合える状態でありたいなと、改めて思います。
これがなかなか難しいんですけどね。

小難しいことは抜きにして、「真夏の夜のジャズ」いい映画でした。
気になった方はぜひ観てみて下さい。
個人的にはアニタ・オデイ。その歌はもちろんファッション、佇まい全てがキュート!キュンとしました。

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