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2020-02-12

「夜と霧」を読んで

新型コロナウイルスの影響で、あらゆるお店の店頭からマスクが消えました。
そしてフリマサイトなどでは価格が高騰。
こういうことをする人たちの動きの速さにはいつも驚かされます。
私は花粉症なので、売り切れる前にとひと箱購入はしましたが、まとめ買いして転売しようなんて思いもよらず。
なんだかとっても虚しい気持ちになります。

そんな時に読んでいたのが「夜と霧」。
精神科医だった著者が、ユダヤ人であるが故に収容されてしまったアウシュビッツ強制収容所での体験を記した本です。
名著に挙げる人が多く、以前から気になっていました。

これまで、アウシュビッツは私の中で漠然とした悲劇でした。
ヒトラーという狂気の独裁者によって行われた大量虐殺。
誰もが知っている事実で、それ以上でも以下でもなかったように思います。
でも「夜と霧」を読んで、それはより鮮明で抗い難い恐怖に変わりました。

その恐怖はふたつに分けられます。
ひとつは、単純にユダヤ人の受けた仕打ちを自分に置き換えた時のもの。
もうひとつは、ユダヤ人ではなかった場合の自分への恐怖です。

アウシュビッツで残酷な仕打ちをしていた人たち。
彼らの多くは、家族や友人の前ではいたって普通の心優しい人だったそうです。

自分がその時代にドイツ人だったら。
彼らと同じように恐ろしい行為を容認、もしくは進んで残虐な行為に及んだのだろうか?

平時には息を潜めている人間の本能的な残酷さ、愚かさ。
それは私にも確実にあるもので。
その現実を突きつけられる思いがして、ドロリとした恐怖を感じながら読みました。

連合軍によってドイツ各地の収容所が解放された時。
そのあまりの悲惨さに、連合軍は過ちを繰り返さないためにもドイツ人に見せることにしました。
「知らなかった」といくら言い張っても、その虐殺を黙認したという現実からは逃れられません。
実際、収容所で何が行われていたかは、ほとんどのドイツ国民に漏れ伝わっていたといいます。

災害や新型ウイルスの流行など、何が起きるか分からない世界。
人間には知恵がありますが、そんなに高尚な生きものではありません。
だからこそ積極的に過去を学び、過ちを犯さないよう自分を律していきたいものです。

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