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2019-11-25

再生ガラスのこと

実は私が手仕事の品にはまりはじめたきっかけは、琉球ガラスでした。
元々ひとりで旅するのが好きで、中でも沖縄には何度も足を運んでいて。
行く度に記念に何か欲しくなって、当時一番心惹かれたのがガラスだったのです。

沖縄で吹きガラス製造がはじまったのは明治の頃。
吹きガラスの仕事は分業制がスタンダードで、4〜5人体制で行います。
長崎や大阪から来た職人によってその技術が伝えられ、薬瓶やお菓子の角瓶などの生活用品が作られていました。

戦後、焼け野原と化した沖縄。
そこで進駐軍に需要があったのが、ガラス製品でした。
アメリカではガラス食器を日常的に使う習慣があったのです。

しかし当時は、物資不足から原料ガラスが手に入りにくい状況。
そこで注目したのが進駐軍が大量に出すコーラなどの空き瓶でした。
再生ガラスの製品は泡が入ったり厚ぼったくなったりして、従来のガラス製品のような繊細な作りにはできません。
その本来であれば不良品と見なされる要素が逆に魅力となり、本国へ帰る米国軍人がお土産として選ぶようになります。

これが沖縄の再生ガラスのはじまり。
色鮮やかなガラスが今ではメインとなっていますが、実は沖縄のガラス製品が色付きガラスになったのは、この空き瓶の再利用からでした。
また、現在のような様々な日用雑器がガラスで作られるようになったのも、当時のアメリカ人からのリクエストに応えていく中での自然な流れだったのです。

今では多くの工房があって、そこで修行した職人が全国各地でガラス製品づくりを行っています。
すっかり沖縄土産の定番ともなっており、アメリカ人だけではなく日本人をはじめ世界各地の方に人気を博しています。

そのぽってりとしたフォルム。
厚みがあって丈夫なので、日常使いにもぴったりです。
ガラスなのにあたたかみすら感じます。

再生ガラスが今このように在るのは、あの沖縄戦があったから。
そう思うととても複雑な心境になりますが、それをも飲み込んで力にしていく沖縄の逞しさが、垣間見えるような気もします。

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